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熊谷陸軍飛行学校桶川分教場


 

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(桶川飛行学校)は、昭和10年に開校した熊谷陸軍飛行学校(現在:航空自衛隊熊谷基地)の分教場として、昭和126桶川市大字川田谷に開校しました。現在の太郎右衛門橋のたもとを旧道の方(上流側)にそれたところ(橋の脇の大イチョウの木の荒川上流方向100)に、現在も守衛所、車庫、営庭、本部兵舎、弾薬庫などが残っています。滑走路は現在のホンダ航空の滑走路と同じところで、川島町側、ホンダ航空社屋脇の堤防から滑走路に向かう広々としたところには、格納庫と現地事務所がありました。

ほかの兵科から航空兵を希望してきた召集下士官や少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官など、昭和20年2月の閉校までに20期余り、推定1,5001,600名の航空兵を教育しましたが、昭和189月に卒業した少年飛行兵第12期生は45名中18名が、昭和193月卒業の特別操縦見習士官第1期生は80余名中20名近くが戦死しています。昭和202月以降は特攻隊の訓練基地として使用され、同年45日、陸軍初の練習機による特攻となる振武第79特別攻撃隊12名が知覧基地に向け出発しています。この特攻機に途中まで同乗していった元整備員の体験談も公表され、また、特攻隊出発時の写真や隊員の手記、寄せ書きなども残されています。

昭和19年3月特別操縦見習士官第1期生卒業

特別操縦見習士官第1期生の飛行訓練(昭和19年2月ごろ)

特別攻撃隊第79振武隊が九州知覧基地に向けて出発した(昭和20年4月5日)



 

◆桶川飛行学校の現況 解体終了(2017.2 左の写真)

◆桶川市 平成29年度予算に復元のための設計費用を計上

 

昨年5月から始まった、旧陸軍桶川飛行学校建物の解体は、本年2月、ほぼ解体が終了しました。

ものつくり大学は、昨年11月、現地見学の機会を設け、解体の方法と解体過程から読み取れる事項を市民に解説しました。(このページの下の新聞記事参照)

本会では、新年度(平成29年度)に、桶川市が設計を開始するかどうか注目していましたが、約4500万円の設計予算計上しました。

設計金額から設計建物の規模を逆算すると、8~9億円の規模であることが推測されます。

 

◆ 桶川市は平成28(2016)年11月19日(土)、飛行学校建物の解体調査の現場公開と調査方法の説明会を開催しました。

◆ 旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会は、翌日の11月20日(日)、桶川市内べに花ふるさと館で、上尾の紙芝居グループ「やぎさん一座」による桶川飛行学校のエピソードを題材にした紙芝居の公演と、同会が自主制作した記録映画「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場」の発表を行いました。

 紙芝居は、桶川飛行学校での数々のエピソードを取り上げて物語にしたものですが、紙芝居の進行に合わせ映像をスクリーンに投影して多くの人が見られるようにしてあります。

 映画は、昭和12年の飛行学校の発足から入校した飛行学生の生活、特攻隊の訓練と第79振武隊の出発、そして戦後は大陸からの引揚者の住居となったことなどを、残された写真と現在の様子を対比しながら、また、学校当時の建物配置をCGで再現するなどしてわかりやすく解説したものです。


「旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場整備事業基本設計図書」(抜粋と要約)~平成27年度に桶川市がものつくり大学に委託して作成した設計図書の一部を本会が解説します~

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1605最終 パース入り旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場整備事業基本設計図書解説22
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解体前の記念に、飛行学校ポストカードを制作しました

この4月、正面の山桜が満開のとき、79年の歳月を経た飛行学校建物の撮影をプロのカメラマンにお願いしました。毎朝の通いは仕事以上の熱の入れようで、10日近くも現地に通ってベストショットを探しました。そこへ桶川ロータリークラブからご支援の話がありましたので、8枚組の絵ハガキを制作いたしました。撮影した解良さん並びにロータリークラブには厚くお礼申しあげます。会員には、無償でお配りいたしました。

ポストカード8枚と専用封筒及び解説「旧陸軍桶川飛行学校ポストカード発行に際して」のセットです。